70年代から80年代初めにかけてのバスフィッシング黎明期、日本のメーカーの海外ルアーに対する執着心と言ったらそれはそれはタイヘンなものでした。
当時、輸出用のパチモンを生産する土壌があったとはいえ、全くのゼロから設計するスキルはまだなかったので、海外の先行ブランド達を追いかける事で彼らのノウハウを吸収しようとしていました。
そして我らがダイワも海外ルアーブランドに追いつけ追い越せと激しくもがいていたのです。
今日のゲスト、バルサミノーシンカーもそんな苦悩の中から生み出されたルアーのひとつ。
そうです、その頃すでに名を馳せていたラパラのカウントダウンのオマージュ… というパチモンです。
バルサミノーシンカーは1979年に登場しました。
ダイワはこのシンキングモデルの発表に先立ってフローターバージョンをリリースしており、そのバリエーションとして追加されました。
当時、バルサミノー9cmフローティングのストップ&ゴーがよく釣れることを知っていたのんだくれ少年は、釣具屋の陳列棚にシンカーが並ぶや否やソッコーで連れ帰った記憶が。
シンカーの特徴は、このぼってりとしたボディライン。
北欧の貴婦人ラパラカウントダウンのような流麗さはどこにもありませんが、それでもハナタレ小僧が少ない小遣いを叩いて買ったルアーですから、ニヤニヤするには十分でした。
なんてったってこのバルサミノーシンカーは、のんだくれが初めて買ったシンキングプラグなんですから。

しかし問題は、これが沈むルアーだということ。
シンカーだから沈むのは当たり前なんですが、レーベルミノーの記事でも書いたとおり、当時は根がかりが怖くて沈むプラグを使うにはそれ相応の勇気を必要としたのです。

ここで投げてみようかな、でも根掛かったらどうしよう、うーん今日はやめとこう… と葛藤の日々。
終いにはこのバルサミノーシンカーは、持ってるけど投げた事がない、常に出番待ちの代打要員的なポジションになってしまいました。
それでものんだくれ少年はボックスにこのシンカー君がいるのを見てるだけでシアワセでした。
ラパラ譲り?の口紅や誇らしげなダイワの刻印など、手作り感がテンコ盛りの造形を見てるだけで釣れたような気分になっていました。
今思うと、のんだくれのネームヲタはこのバルサミノーから始まったのかもしれません😁
しかしそんな妄想の中で泳がせるのにも満足できなくなり、意を決してラインに結んでみました。
その結果は…
なんじゃこりゃー!
なんとすぐに横になってしまって、まともに泳がないんです😭
その原因はコレ。
なんとリップが曲がって装着されていたんです。
当時ののんだくれはトゥルーチューンなんて知るはずもなく、ただただ横になって泳ぐバルサミノーを哀しい目で見るしかありませんでした。
しかし哀しい出来事はそれだけではありませんでした。
何度か投げて戻ってきたルアーを見ると、見事にトップコートが剥げていたのです😭
おそらく保管中にフックが刺さったところからヒビが広がってコートがごっそり剥がれたと思われますが、これらの出来事はのんだくれ少年の心を折るには十分すぎる破壊力で、しばらくガチで落ち込んでいましたw
今でこそ笑えますが、子供の頃は小遣いを貯めて買ったルアーが壊れるというのは大事件なワケですよ。
その後、このバルサミノーは2度とラインに結ばれる事なく、ボックスの奥深くに仕舞い込まれて今に至るという訳でゴザイマス。
しかし今改めて見てみると、これはこれで当時のダイワは頑張ってたなと。
ラパラのようにスマートではないけれど、素朴というか素人感丸出しの仕上がりからは、なんとか形にしようとしていたのが伝わってくるようです。
ハンドメイドではなく、”素人の工作”という表現がピッタリ。
シマノと並ぶ一流メーカー、ダイワの渾身のルアーがコレだった思うと、なんか微笑ましくなるのと同時に日本のルアーフィッシング黎明期をオンタイムで体験できたのはGOLDだったなと。
一度しか投げていないのでフックは当時のオリジナルのまま。
今のミノープラグのフックと比べるとアンバランスなほど小さいのがわかりますね。
画像では分かりにくいのですが、トレブルフックのロウ付けクオリティもお世辞にも良いとは言えません。
それを思うと高品質のルアーが手軽に手に入る今はシアワセな時代なんだなーと。
この記事を書くにあたり、久々に泳がせてみようかと思ったんですが、浸水して全崩壊する可能性も否定できないのでヤメときました。
このバルサミノーシンカーではバスを釣ったことがないどころか、あまりのショボさに打ちのめされたルアーですが、手にするだけでガキの頃の思い出を連れてきてくれるルアーはイイですよね。